2013.8〜2013.11 予備校中退からの大学受験へ

2013年8月、予備校の夏季講習には行かずとも在籍はしていた。一度も行かずその年の夏はひたすらジャニーズを追いかけていた。おかげで何度も何度も会うことができてコンサートにも入って、今考えると本当に親不孝第一弾だった。でもその時の私にはそれしか生きてる意味が見出せなかった。

2013年9月、正式に予備校を中退した。不思議とこの先どうしようという不安はなかった。とりあえずバイトからと動き始めた途端事件は起こった。

2013年10月、当時私はガラケーiPhoneの2つ持ちで、通話代がかかるからと履歴書の電話番号を全てガラケーの番号にしていた。ある日夜中非通知から電話がかかってきた。24時間営業のファミレスも受けていたので電話に出ると男の声でもしもし、○○ちゃん?と名指しで言われた。気持ちが悪く咄嗟に違いますけどと返すと卑猥なことを山ほど言われ怖くて電源を切って寝た。

次の日起きると非通知から30件ほど連絡が入っていた。怖くて怖くて鳥肌が止まらなかった。この番号を知っているのはバイトの面接を受けて履歴書を出したお店の人間だけなのだから。

履歴書を出したということは住所も本名も何もかもバレている。親との関係が悪く相談できなかったので家から一歩も出ることができなくなってしまった。

何も知らない親はまた引きこもりかと私を叱責した。殴られて蹴られて髪の毛を掴んで引きずり回された。部屋の中はめちゃくちゃで警察が来る事態にまでなった。

そこで初めて泣きながら全てを話した。とりあえずガラケーは解約、自宅近辺の見回り強化としばらく外出時は車でということになった。

その後、今後大学に進学するかの話し合いになった。私は咄嗟に知り合いが言っている大学の名前を二つ出した。その時点でもう受験日まで1ヶ月もなく、出願もギリギリだったが親が出願の書類を揃えてくれて実質2週間ほどの受験勉強で2つの大学に合格した。2週間ほどと言っても朝4時に起き勉強し夜2時に寝るという毎日、わりとキツかったが18歳だから耐えられた。

1つ目の女子大の受験日の2日前、好きなアイドルの映画の試写会と舞台挨拶があった。友達に誘われ、前から3列目だったので行く以外の選択肢はなかった。親には外で勉強詰めてくると嘘をつき舞台挨拶へ向かった。その時の罪悪感は今でも忘れられない。

女子大の受験日、私だけ私服で私だけ茶髪だった。しかも1番前の1番真ん中の席に座らされて、とても目立っていたことだけは覚えている。受かっても絶対この大学行きたくねぇなと思った。

後に通うことになる2つ目の大学の受験の日は何も緊張しなかった。受かる気も受からない気もしなかった。ただ無。だった。試験が終わった後なか卵で初めて1人で昼食を食べたことだけは覚えている。

2013年11月、どちらの大学にも合格し共学である後者の大学を選んだ。これでやっと平和な日々が戻ってくると思うとホッとした。それからは好きにバイトを3つ掛け持ちしたり髪を染めたり東京へ旅行したり、好きなことをして大学入学を待った。

 

家庭崩壊①ひとまず終了